大判例

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東京高等裁判所 昭和43年(う)1919号 判決

本籍

東京都千代田区神田一ツ橋二丁目三番地の二

住居

右に同じ

会社役員

久保政市

明治四〇年三月五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四三年七月三〇日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人江口弘一から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検事古谷菊次出席のうえ審理をし、次のように判決をする。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人江口弘一、尚江口高次郎が連名で差し出した控訴趣意書に記載してあるとおりであり、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官検事古谷菊次の差し出した答弁書に記載してあるとおりであるから、いずれもこれを引用し、これに対して当裁判所は、次のように判断をする。

論旨第一点(理由不備ないし理由のくいちがい)について。

所論は、所得税逋脱罪を認定するには、個々の取引における個々の収入金、支出金、すなわち純資産の増加、または減少の原因となる個々の具体的事実を証拠によつて確定する方法で、当該年度分の被告人の所得金額を算出確定しなければならないのにかかわらず、原判決は右の方法をとらず、単に損益計算書の貸方、借方記載の抽象的な数字を集計することによつて所得金額を算出したにすぎないから、被告人の正確な逋脱所得金額を決定することはできず、したがつて原判決にはこの点において理由不備、または理由のくいちがいがある、と主張する。しかしながら、本件の所得金額が、損益計算書の貸方合計(利益取引の合計)から、借方合計(損失取引の合計)を控除する方法、すなわち、いわゆる損益計算法によつて右の所得を算出したものであることは、所論のとおりであるが、原判決は、単に損益計算書の貸方、借方の数字を集計しただけではなく、右計算書の内容をなす個々の勘定科目の具体的事実を、いずれも証拠によつて認定し、本件所得税逋脱犯の事実を認めたものであることは、一件記録上きわめて明白であり、所論指摘の東京高等裁判所の判決は、本件に適切でないから、所論に賛同することはできない。論旨は理由がない。

論旨第二点(訴訟手続の法令違反)について。

所論は、本件起訴状の各訴因が、ただ抽象的に各年度の所得金額がいくらと記載しただけで、各勘定科目(控訴趣意書に「勘定取引」とあるのは、「勘定科目」の誤記と認める。)の具体的事実を特定していないから、訴因が不明確、不特定であり、したがつて犯罪事実が特定していないから、本件は公訴を棄却すべきであつたのに、原判決が有罪の言渡をしたのは違法であり、破棄せらるべきものである、と主張する。

しかしながら、起訴状に記載すべき訴因は、犯罪構成要件に該当する事実を具体的に記載すれば足りるのであつて、これを本件のような所得税法違反(過少申告逋脱犯)についてあてはめれば、被告人の当該年度分の実際所得およびこれに対して納入すべき税額がいくらであつたのに、被告人が所轄税務署に対してなした申告所得、申告税額がいくらであり、したがつて逋脱所得、逋脱税額がいくらであつたかを明記してあれば必要にして十分であり、右の所得金額がどのようにして発生したか、どんな勘定科目から成り立つているか、およびどのようにしてそれらが算出されたかなどということは、検察官が冒頭陳述において主張し、立証段階において立証すべき問題であるというべきである。そこで本件起訴状の訴因は、所得税法違反の構成要件に該当する事実を、必要にして十分であるという程度に記載してあるというべきであるから、所轄は採用の限りでなく、論旨は理由がない。

論旨第三点(憲法違反)について。

所論は、本件について、税務当局が被告人に対し、本税のほか、重加算税、延滞利子税等、実質上の刑罰である巨額の重税の支払を命じ、被告人がすでにこれを履行したのであるから、同人に対し重ねて懲役刑や罰金刑を科するのは、憲法第三九条後段に規定する一事不再理の原則に反する、というのである。

しかしながら、本税は本来被告人が納入すべき税金であり、延滞利子税は右の当然納入すべきであつた本税を延滞したことによる利子で、刑罰に当らないことはもとより、いわゆる行政罰にも当らない。また、重加算税、過少申告加算税は行政罰であつて刑罰でないから、憲法第三九条後段に違反しないことは、すでに最高裁判所の判例の示すところ(昭和三六・七・六最高裁第一小法廷判決、判集一五巻七号一、〇五四頁)で、当裁判所もこの見解に従うのが相当であると考えるから、所論はそのいわれがなく、論旨は理由がない。

論旨第四点(量刑不当)について。

所論は、被告人に対する原判決の量刑が不当に重いというのであるが、記録および証拠物を捜査し、これらに現われた本件各犯行の罪質、態様、動機、被告人の年令、性行、経歴、家庭の事情、犯罪後の状況、本件各犯行の社会的影響等量刑の資料となるべき諸般の情状を総合考察し、とくに、

本件は、原判示のように、被告人が昭和三九・四〇年の両年度にわたり、受取利息の全部を脱税し、簿外予金を設定する等の不正な方法により所得を秘匿したうえ、合計一、九九三万六、六〇〇円に上る巨額の所得税を逋脱したもので、憲法に規定する国民の重要義務の一つである納税義務に違背し、国家の課税権を侵害すること甚だしく、その刑責は決して軽くないというべきであること、

等被告人に不利な事情を考慮すれば、所論の指摘する被告人のために汲むべき諸情状を斟酌しても、被告人を懲役四月および罰金五〇〇万円、ただし懲役刑につき三年間の執行猶予に処した原判決の量刑は相当であつて、不当に重いとはいえないから、論旨は理由がない。

よつて、本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法第三九六条により、これを棄却することとして、主文のように判決をする。

(裁判長判事 山岸薫一 判事 東徹 判事 中島卓児)

控訴趣意書

被告人 久保政市

右の者に対する所得税法違反被告事件につき控訴趣意書を提出いたします。

尚右控訴趣意については御庁の公判廷において更にその趣意を敷行して陳述し、かつ右控訴趣意を立証するため事実の取調として証人の喚問を求める予定であります。

昭和四三年一〇月一四日

右弁護人弁護士 江口弘一

江口高次郎

東京高等裁判所

第一〇刑事部御中

控訴趣意

第一点 原判決は理由不備ないし理由くいちがいの違法があり破棄を免れない。

所得税逋脱罪を認めるにはその年分の所得金額を先ず確定する必要がある。而してその所得金額を確定するためにはその前提としてその年分総損金及び総益金を計数しなければならない。而もその総損金及び総益金なるものは個々の取引勘定における個々の収入金、支出金即ち純資産の増加または減少の原因となる個々の具体的事実関係を証拠により確定しそれを唯一絶対の基礎として総損金及び総益金を計上する以外に方法がない、そうでなかつたならば国家は国民に所得税逋脱犯人である金額いくらいくらの逋脱罪を犯したという烙印を押しつけることは僣越至極の沙汰となるであろう。

然るに原判決を査するに原判決第一及び第二の事実の認定はこの唯一絶対の基礎に立たないで、単に損益計算書上の計上項目ごとに貸方借方の数字を計上しこれを集計して所得金額を原判決の如く認定したに過ぎない。その様なことで果たして正確な逋脱金額を決定することができようか。

原判決はこの意味において理由不備ないし、判示事実と証拠との間に理由くいちがいの違法があるから破棄を免れない(昭和三九年(う)第一二三一号昭和四一年三月一六日東京高等裁判所判決)

第二点 本件は訴因不明示不特定の違法ある公訴を不法に受理し被告人に有罪を言い渡したものでその点でも破棄を免れない。

本件被告人に対する起訴状を査するに右第一点において主張した判決そのものの理由不備を来たした最大の原因は検察官の起訴状の訴因が各個の勘定取引の具体的事実を全く特定せず、只抽象的に何年分の総所得金額いくらいくらと記載したのみで訴因明示かつ特定の訴訟法の原則をふみにじつているのに拘わらず敢て公訴を棄却せずそのまま審判をした点に在り、この違法は当然原判決に影響を及ぼさざるを得ない。

第三点 原判決は被告人に刑罰を科した点において憲法第三九条後段に違反し破棄を免れない。

何となれば被告人はすでに税務当局の御命令に服し税務当局が一方的に計算した所得金額に応ずる税額及び重加算税、延滞利子税等を直ちに支払つている(なぜ、そうしたかは後に述べる)これは名目の如何を問わず実質上被告人に対する刑罰に外ならない。手痛い刑罰たる何千万円の重税を科しながら、同じ国家が今度は「裁判所」という別の肩書で「罰金」や「懲役」という別の名目の刑罰を科するということはいかに法の形式論理を操つても二重処罰そのものであることを否定できない。

第四点 原判決の量刑は著しく過重で判決破棄を免れない。

第三点において既に主張した如く被告人は何千万円の莫大な過怠税重加算税を科せられ実質上死刑に処せられたと全く同一である。営業の存在そのものを否定する様な過大な税額を科せられながら被告人としては若干の帳簿の不正等があつた弱味から税務当局に極端にマークされる不利を恐れ泣き泣き命令通りの納付をしたのである。

真実は同業者からの懇請をことわりきれず被告人としては同業者の倒産を救うため且つ銀行融資との関係上簿外処理をその同業者より懇請された結果であり、決して悪意があつたわけではないし、又原判決の認めた様な過大な逋脱があつたのではない。

然るに原判決は、被告人に更に罰金五百万円及び懲役刑を科したがこれは余りにも重い刑罰である。

願わくは原判決を破棄し軽い刑罰に処せられんことを御願いする。

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